ベンメアレア遺跡の調査

クメールの遺跡たち

ベンメアレアはシェムリアップ市内から1時間ほどで訪れることができ,最近は特に日本人に人気のある遺跡です。鬱蒼と茂ったジャングルの中に静かに佇む,朽ち果てたこの石造の大寺院では,19世紀後半,アンコール文明が密林の中から発見された当時の感動の場面に立ち会うようです。寺院を形作っていた大きな切石の上を全身でバランスを取りながら慎重に進むとき,過去の文明が築いた建築の偉大さと,それをも呑み込む自然の力強さや時間の悠久の流れを感じることでしょう。数年前に「Two Brothers」というフランス映画の舞台になった後,境内にはあたかも映画のカメラワークそのものを体感できるような立体的な動線を楽しめる木道が設置され,他の遺跡にはない魅力あふれたサイトとなりました。

と,なんだかこそばゆい観光ガイドの一文のようになってしまいましたが,一般的にはそんなエキゾチックで冒険心をくすぶる遺跡,それがベンメアレアだと言えるでしょう。

この遺跡で,2009年8月末より〈早稲田大学-名城大学〉による研究が開始されました。

 

ベンメアレア遺跡は,しかしながら,研究者にとってはなかなか手強い相手です。『黙して語らず』というのがモットーであるかのごときこの遺跡は,一切の碑文が出土しておらず,建造年代も,建造王も分かっていません。建築や装飾はほぼ完璧に仕上げられており,付け入る隙がなく,調査する上での面白みに欠ける遺跡だと言わざるを得ません。ちょっと隙があった方が可愛らしくて,いろいろとつっつきたくなるものでしょう(?)。

 

この遺跡はよくアンコール・ワットとの比較において引き合いに出されます。たしかに,寺院の構成や建築の完成度,そして装飾様式はとても似ています。アンコール・ワットと前後して建立されたことは間違いありません。様々な推測にもとづき,アンコール・ワットよりも前に,とか後に,造られたと紹介されており,たしかに,建物の造作や彫刻装飾などから様々な類似点や相違点を示すことは可能ですが,実際に確かな時代の前後差を示すことは,建物そのものからは難しいと言わざるを得ません。


さて,平面図をみると一見して確かにアンコール・ワットと似ています。実際にはアンコール・ワットはピラミッド型の立面をしているのに対して,ベンメアレアは起伏がありませんので,立面的には全く異なったものですが,このように類似していることから,クメールの最高傑作となるアンコール・ワット建造の試作品としてベンメアレアが造られたという人がいるほどです。

アンコール・ワットでは極めて精確な図面集が刊行されていますが,ベンメアレアで作成されている図面はさほど正しくありません。細部に建物を眺めていくと,図面とは異なる部分が少なくありません。また,建物の配置なども厳密には異なっています。

 

そうしたことから,調査隊はまずは遺跡の精確な平面図を作成することに取り組んでいます。

GPS測量によって基準点を設置し,そこからトータル・ステーションで建物各所の測量を行います。また,建物細部はメジャーや曲尺などを用いて採寸していきます。遺跡内は,樹林に覆われ,また崩落石材によって移動が妨げられることもあり,測量は難航していますが,徐々に進みつつあります。

 

平面図の作成は,もちろん建物の基礎情報として,様々な応用的な調査において不可欠なものではありますが,この調査隊では,最終的には図面の縮尺によってつぶれてしまうような極めて高い精度の測量を行っています。その意図は寺院の設計方法の解明が重要な研究目的の一つに含まれているためです。究極的な目的としては,アンコール・ワットの設計方法を解明することにありますが,その類例,手がかりとしてベンメアレアを対象に分析を進めることが予定されています。

 

最終的には寺院全体の平面測量を計画していますが,順序としては,寺院内の各部分を細分化して,①十字回廊,②南北経蔵,③宮殿,とそれぞれ呼ばれている建物から測量を行っています。十字回廊はアンコール・ワットとの直接的な比較ができる可能性が高いため,経蔵は他寺院での分析例が多く,また南北で形状が異なっており興味が持たれるため,宮殿はアンコール・ワットには認められない特徴的な要素であることが,それぞれの理由です。

また,各建物ではそれぞれに副次的な研究テーマがありますが,その詳細はまた機会をおって紹介できたらと思います。

 

このように,寺院そのものの構成についても興味が持たれますが,それとは別に,寺院を取り巻く他の建物や貯水池などの施設についても調査を行っていく予定です。

実際には,雨季には踏査は難しいため,今後の乾季の調査に備えての予察的な調査として,今回は主要な関連遺構について確認をする程度です。

 

そうした関連遺構の配置を観察すると,ベンメアレア寺院以外の他の大型複合寺院と配置状の類似点などが見えてきます。コンポントムのプレア・カーンやバンテアイ・チュマール,その他アンコール遺跡群内の寺院でも見方によっては有意な関連遺構を抽出することができるかもしれません。なにか基本的なクメール都市の配置法がここから導き出せたら面白いことでしょう。

また,ベンメアレアは王道の分岐点にあり,立地上の重要性が高かったものと考えられます。王道と寺院,あるいは寺院周辺の様々な工作痕との関係も興味の対象となります。

 

調査を行っている学生メンバーには,ランボーやらソルジャーという勇ましいニックネームで呼ばれている強者もいますが,肉弾戦の舞台にもよく似合うこの遺跡での調査は来年にかけて数ミッションにわたり進められる予定です。(一)

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