2月末から3月上旬にかけて、内田悦生教授の岩石調査と平行して、アンコールを起点とし、ベン・メアリア遺跡から大プレア・カーンへと伸びる王道沿いの遺跡群の調査を行いました。
東南アジア大陸部において広大な領土を有したクメール帝国は、アンコール王朝の王都であったアンコールから、領土内各地の大型地方寺院へむけて放射状に“王道“と呼ばれる幹線道路を建設していきました。今回調査したのはそのうちアンコールから東へと伸びる王道で(以下東道)、ベン・メアリア寺院を通過し、現在大プレア・カーンまで確認されています。この道はさらに東へとのび、隣国チャンパ(現在のベトナム中部)へと通じていたとも考えられています。
この東道沿いには、日本の江戸時代の街道のように、ある一定の間隔(人間が一日に徒歩で進むことができる距離)で宿場町のようなものがあったと考えられており、現在でもその名残としてベン・メアリアから大プレア・カーンまでの間には約14kmおきに“宿駅寺院“と“宿駅[ダルマサーラとも呼ばれる]”と呼ばれる遺跡がほぼ対をなして建っています。しかし、これまでは道路状況が非常に悪かったため、この東道及び東道沿いの遺跡群の調査が本格的に行われるようになったのはごく最近のことです。
本調査の焦点は、この寺院の建造年代(全ての寺院が一度に建てられたのか、どれか手本になるものがあったのか)や共通性の有無を調べることでした。今回の調査では、昨年の3月の調査に引き続き、平面図の作成や、建材、石材調査に加え、装飾的な観点からの調査を実施しました。
といっても、まだまだ遺跡は密林のなか。遺跡全体を回るだけでもかなりの一苦労、全貌を把握することもままならない遺跡もありました…。
ですが、正確な図面を作成して行くなかで、少しずつ面白いことが分かり始めています。
クメールの遺跡では、全く同じ形や規模の寺院が殆ど存在しないことが通例ですが、今回調査している王道沿いの遺構は寺院の規模、構成ともに驚くほど酷似しているのです。つまり、あるひとつのプロトタイプが存在し、それとほぼ同じ設計のもと、とても計画的に、システマチックに王道沿いの宿場町の整備がなされていたと考えることができます。こうした寺院建造のあり方は、数多のクメール遺跡を考える上で重要なポイントとなるでしょう。
東道は、これらの寺院の建築・装飾様式などから、大きく分ければ、アンコール・ワットを建造したスーリヤヴァルマン2世と、バイヨンを建造したジャヤヴァルマン7世の時代に大規模な整備をされたと考えられていますが、プレ・アンコール期から存在したという説もあり、その年代や整備方法、過程については多くの謎が残ります。東道に建造されているラテライト造の橋梁の年代についても再考する必要があるでしょう。
今回の調査を論考にて整理し、さらなる調査を進めて行くことで、広大なクメール帝国の繁栄の秘訣を知る手がかりがつかめるのではないかと考えられます。今後は大プレア・カーン以東の調査を進めていきたいと考えています。(島田)
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