アンコール・トムの踏査

クメールの遺跡たち

アンコール遺跡の中心に位置する王都「アンコール・トム」。バイヨンやバプーオン、象のテラスやライ王のテラスなど、観光客も必ず訪れる最重要地区ですが、これらの重要な寺院群を包括しているアンコール・トムそのものについてはほとんど知られていません。

これはなにも観光客に限ったことではありません。研究者にとっても常に身近な存在であるにもかかわらず、ほとんど関心が払われずにきました。その理由は、一辺3キロの環壕と高い周壁に囲まれたこの都城が、現在深いジャングルに呑み込まれて、足を踏み入れるのが極めて困難であることによります。このジャングルのおかげで、王都アンコール・トムは今でも聖域としてほとんど調査の手が入らずに残されているのです。

そんな中で、ほぼ唯一この王都を長年研究しているEFEOのゴシエ博士は、ここを「インドの宇宙観に基づくユートピア」と表現しています。インド的な理想の世界観がここに具現された痕跡が残されているというのです。博士の描くアンコール・トムの地図には、日本の条坊制の古代都市のようにグリッドが切られています。そして無数の溜池。さらには約200の遺構、あるいは遺物の集積地が記されています。

日本では古代都市といえば方形の輪郭を想定して一般的ですが、アンコールでは方形の外郭構造を有する都市はさほど多くはありません。ワット・プーのシュレシュタプラ、バンテアイ・プレイ・ノコール、サンボー・プレイ・クック、ピマイ、ムアン・シン、コンポン・スヴァイのプレア・カーン、そしてここアンコール・トムほどです。もちろん、大型の寺院には都市的な機能が内包されていたかもしれませんが、王宮や官衙施設を有しているような施設ではなかったはずです。こうした都市の基本構造については、研究がほとんど進んでいませんが、たいへん興味深い課題で、かつ古代都市がほとんど手つかずで残されています。

連日の修復工事で訪れているバイヨンから少し足を伸ばしてアンコール・トムの森の中に足を踏み入れてみると、雨季には来訪者を断固として拒む鬱蒼としたジャングルに阻まれますが、乾季も終わりの頃になると、なんとか回ってみることができるようになります。ゴシエ博士が切り拓いた約100mの間隔で碁盤目状に分布する小道が必然と踏査路となってきます。

まだ数度の踏査を行ったに過ぎませんが、高さ10m以上もの土塁が続いていたり、陶磁器が散乱していたり、全容が不明の倒壊した遺構が分布していたりと、なんとも興味深い都市址です。本気でこの調査にはまったら大変なことになるでしょうけど、頭と体のトレーニングにこれ以上魅力的なサイトはありません。時間の余裕がある時に、もう少し森の中に消えたいと思っています。(一)

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