6月21日。日曜日。
お休みを利用して、ちょっと遠方の遺跡まで遠足に行くことになりました。
今回目指すは、「プレア・ヴィヘア」。タイとカンボジアの国境にある、絶壁の頂きに建つ寺院です。
9世紀末頃に、ヤショバルマン1世王によって創建され、11世紀には時の王スールヤバルマン1世によって、クメール王国の版図を示す地方拠点の一つとして、シヴァ神の象徴であるリンガが納められたと伝えられています。クメールの遺跡たちの中でも規模が大きく、古代から重要とされてきた遺跡。
2008年7月、この寺院はさまざまな問題を抱えながらも、カンボジアの第2の世界遺産となりました。
プレア・ヴィヘアが抱えていた問題。それは東南アジアの歴史の変遷を色濃く反映しています。タイとカンボジアの長い歴史の中で、国境が推移したり、国家の部分的な割譲があったりと、カンボジアとタイの国境沿いはその所有権をめぐってこれまでも議論を呼んできました。
そして、聖地プレア・ヴィヘア寺院をめぐっても、それがカンボジアのものであるのか、はたまたタイのものか、という両国の世論を背負った議論の末に、2008年秋、両国の国境で武力衝突が起きるという悲劇を生むこととなりました。
数回にわたる衝突ののち、現在では状況がかなり安定したという情報を得て、視察を兼ねた遠足です。
早朝6時半。朝靄のシェムリアップを出発し、まずはタイとの国境の町、アンロンヴェンを目指します。
6:55 「東洋のモナリザ」と呼ばれる美しい彫刻で著名な、バンテアイ・スレイ寺院の横をすりぬけ、無駄じゃないかと思うほど巨大なロータリーを回りこむと、アンロンヴェンまで続くピカピカの舗装道路に入ります。以前は4,5時間かかると言われていたシェムリアップ―アンロンヴェン間ですが、つい最近完成したこの新しい道のおかげで、およそ1時間半ほどで到着するとの噂。実際に検証してみましょう。
こんな大きな重機が2台も並べるほどのしっかりした道でした。ちなみに片方の重機を路上で解体しているところです。なぜここで・・・
7:07 千本リンがで知られる山頂の聖地、クバルスピアン通過。このあたりから少しずつ高台になっていき、ピカピカ道路はアップダウンの繰り返しでちょっとジェットコースター気分。
8:06 アンロンヴェン着。話に聞いていたより早い、1時間10分。なかなかの好タイム。しかも、アンロンヴェンまであとほんの1kmほど、というところから道が完成しておらず、未舗装のぬかるみの中を横滑りしながら走行。この道路が最後まで完成すれば、シェムリアップからタイ国境まで、1時間も夢ではないはずです。
この先にどんな苦難が待ち受けているかわからないので、この町で朝食を。タイへの玄関口となるアンロンヴェンですが、印象はまだまだ小さな田舎町。4人で朝食を食べて20000リエル($5)なり。
道が舗装されたからには、この小さな町もタイに向かう拠点として「街」へと成長していくのでしょう。
8:50 昼食用にヌンパンパテー(クメール風サンドイッチ)を購入して、再スタート。ここからは未舗装の赤土の道。プレア・ヴィヘアのお膝元となるスラアエム村を目指します。
タイとカンボジアを分かつダンレック山脈を左手に望みながら進むことおよそ30分、トロペアン・プラサートという名前の小さな村に着きました。ここでプレア・ヴィヘアまでの道を教えてもらい、赤土の道をさらに東へと進みます。道の脇にところどころ出てくる新しい村。家の形が同じだったり、壁板が真新しかったりと一目見て、新しいとわかります。この道の両側にはきっとこれからたくさんの家が立ち並ぶのでしょう。
10:08 プレア・ヴィヘアの麓の村、スラアエムに到着。ここからはダンレック山脈に向けて北上。村から離れて間もなく、道路の両側に土嚢袋を積み上げた四角い形の小屋が点々と登場。よく見ると中に銃を携帯した兵隊さんたちが。その他にも、装甲車・バズーカ砲(?)などなど、ものものしい雰囲気は山が近づいてくるほどに強くなってきます。
寺院までは、あと少し。でもこのあと少しのなかに、プレア・ヴィヘア最後の難関が残っています。
それは・・・ダンレック山脈の断崖を切るように登っていく心臓破りの急坂。スキー場で言うならば上級者コースのさらにその上をいくような斜面を大蛇が這うようにコンクリートの道が1本上っていきます。
4駆だから、まあ大丈夫だ、という地元のオジサンの多少不安なお墨付きを得て、我々4名の命を乗せてトヨタの黒ヴィーゴがこの断崖へと挑みます。
いよいよ最後のアタックです。
そろりそろりと慎重に上っていくヴィーゴ。登り口のところですでに、あのジェットコースターが落下点まで昇っていくときの音が「カンカンカン・・・」と聞こえてくるようで、掌に汗が。
そうして2つほど大きなヤマを越えていったとき、前方の坂を黙々と上る一人の兵隊さんを発見。暑い中、伏し目がちに歩を進める姿を見て、「乗せてあげよう」ということに。カンボジア人のメンバーが声をかけると、人懐っこい笑顔で「いいのかい?」と兵隊さん。まあ、荷台にひとり増えたくらいどうってことはないでしょう。後部座席から振り返ると、ちょうど顔の高さが一緒で、お互い照れ笑い。
このほのぼのとしたエピソードがのちに大変な事態を招くことを、このときメンバーの誰一人として気づいていませんでした。
我々4名と兵隊さん1名を乗せてスタートした黒ヴィーゴ。さらに際どい坂を越えて行った我々の視界の先に、さらに炎天下黙々と坂を上っていく3人の兵隊さんが。これは・・・やっぱりこの方たちも乗せてあげなきゃだよね?ということで、声をかける。嬉しそうに乗り込む3名の兵隊さんたちと、小さく洩れるヴィーゴの溜息。そして、ひとつ坂を越えるたび、2人、4人と兵隊さんたちに出会い、気がつけば荷台には兵隊さんたちがぎっしり。
なんだか緊張してしまってぎこちなく振り返ると、迷彩服に包まれた10近い微笑みfaceが。怖い人たちではないんだな、と思いつつ。カメラは向けられませんでした。
低く重い踏ん張り声をあげながらヴィーゴが坂を上っていく。ひっくりかえるんじゃないかと思うような坂をいくつも越えた、頂上に程近い平らな場所で、突如後ろから「ガンガン」と何かをたたく音が。びっくりして振り返ると、ちょうど駐屯小屋があり、荷台の兵隊さんたちが「降りるよ!」という合図でした。
日に焼けた顔に「オークン!」と笑顔を浮かべて、思い思いに手を振り散っていく姿を見て、ああ、この人たちもクメールのおじさんたちなんだなぁ、とちょっとほっとする。
急に軽くなったヴィーゴは喜びの(?)唸り声をあげて、最後の急坂を登り切りました。
そして、目の前の斜面には、カンボジアの国旗と、ユネスコの旗、そして世界遺産を示すマークが強めの風にはたはたと揺れていました。
続く。
(ま)
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