今日のバイヨン。このブログでは「バイヨン寺院に限らず」アンコール遺跡に関することを徒然なるままに記していこうと思います。せっかくの第一回目なので,今回はなにか特別号のようにしたいと思いまして,アンコールの歴史が幕を開けた古都「ワット・プーの今日」から始めることにしました。
カンボジアはちょうど1月末に中国正月があります。特に祝日にはなるわけではありませんが,この機会にラオスを覗いてきました。
アンコール王朝が幕を開けるのは9世紀初頭ですが,それに先立つこと300年あまり,アンコール王朝の前身国家であるチェンラと呼ばれる王朝がインドシナに興りました。その出自についてはまだまだ謎ではありますが,定説となっているのが,現在のラオス南部,チャンパサックに位置するワット・プーとその周辺にこの王国は最初の都市を構えたというものです。都市の名は「シュレシュタプラ」。カオ山の山裾にはヒンドゥー教寺院「ワット・プー」が配され,そこから東方,メコン川までの間の平地に環壕に囲まれた都市が築かれました。
シュレシュタプラの都城内からプーカオ山を望む
都市の中には煉瓦や石造りの祠堂が散在しています。どれも崩壊して堆積する土に呑み込まれていますが,近年,いくつかの寺院が発掘調査の対象となり,「プレ・アンコール」時代の様式の彫刻や建物の痕跡がたくさん確認されています。
煉瓦遺構痕となるマウンド(シュレシュタプラ都城内)
この都市については,またいつか話に出てくるかも知れませんが,今日は世界遺産にもなっているワット・プーについてです。
この遺跡はおそらく古くから聖地であって,土着的な信仰の場となっていたものと考えられます。6世紀頃に最初の寺院が造られて以降,数世紀に渡って寺院の増築が続いたようで,今に残る姿を整えたのは,アンコール時代に入ってからです。アンコールの首都から遠く離れたこの寺院ではありますが,アンコール時代に入ってからも長くクメールの地方拠点の一つとして栄えたようです。ジャヤヴァルマン7世が最終的に完成させたアンコール王朝の幹線道路「王道」の終着点の一つがこの寺院にあることは,アンコールにとって古都ワット・プーがいかに重要であったのかをよく示しているでしょう。
近年に入って,ワット・プー寺院では少しずつ修復工事が進められています。資源の少ないラオスにおいて,以前より観光資源の目玉としてこの遺跡は注目されていましたが,ようやく遺跡の整備が進み始めています。
次号,「ワット・プーの修復」をお届けします。
コメント