コーケル遺跡の調査 その2

コーケル遺跡の調査

コーケル調査は2日目に入りました。

今日も2班に分かれての調査です。

第2班は昨日の続きということで遺構の採寸を進めます。今日はPrasat Balan, Prasat Thnen, Prasat GそしてPrasat Andon Kukの途中までを採寸しました。遺構の残りがあまり良くないため、復元的な考察を要するこの調査は個別に工夫しながら測ってゆく必要があります。

さて、第1班は本日たいへんな調査になりました。こちらのメンバーはこれまでに世界各地の遺跡で測量を中心とした考古学的調査を経験されている内田賢二先生と、アンコール遺跡ではすでに10年以上のキャリアとなる早稲田大学測量実習室の金沢誠先生が同行されました。

コーケル遺跡群の北方を横切る王道の踏査です。

通常、遠方の踏査にくり出す際にはバイクに乗っていきますが、今回はより速度を落として目線を配りながら進もう、ということで徒歩での行程。9時20分ころの出発でした。

遺跡北側の村を通過し、遺跡群と王道の連絡路となる土手道を北進します。遺跡群の北側と西側には直線的な土手が確認されますが、これに加えて、北方へと走るこの土手道は航空写真からも良く観察される遺構です。土手を進むとラテライトのブロックが路肩を造っています。途中、沿道に少し入ったところには煉瓦造の祠堂も確認されます。

踏査では航空写真をつかって常に位置を確認しながら歩を進めます。最近では携帯型GPSとノートパソコンをつないで、カシミールなどのソフトを使えば簡単に現位置を写真上で確認しながら踏査ができますので、航空写真上に見えている俯瞰的な環境状況と、地上に立って周囲を見渡すという二つの視点を併せ持ちながら進むことができます。

今回の調査では、東京大学新領域の南雲直子さんがランドサットからの衛星写真上に航空写真を位置あわせしたナビゲーション用の地図を準備してくれました。

航空写真より土手道の存在は確認されていたのですが、思っていた以上に幅の広いもので当時はさぞかし立派な大通りであった様子がうかがわれます。土手道は約1.5kmにわたって延びており、その先には大型のラテライトの遺構が残されていました。おそらくここで一度土手道は途切れているようで、遺跡群から延びる道の北端をなしています。さらに少し進むと再び土手道が現れます。

新しく入植したばかりという風情の村が現れ、高床式の家々が列ぶ小さな村が土手道に沿って並んでいます。土手道は先の道よりもかなり細くなりますが、その分、周囲の地表面からの比高が大きくなります。ラテライト造の路肩もまだまだ続きます。

2kmを北進したあたりで土手道は緩やかに北西に折れます。この土手は道であると同時にダムであったことも推測されるところで、航空写真を見る限りではこのダムに堰き止められた川が大きく蛇行している様子も見られます。このダム上の土手沿いには、ラテライトの遺構が不規則にあるようで、ちょっと眺めた程度ではその構造、機能は分かりませんが、なんらかの施設跡であることは明らかです。

道は徐々にジャングルの中に消えてゆきます。木々をかき分けながら、何とか進むような状況です。しかしまだまだラテライトの遺構は続いてきます。たいへん興味深いところですが、木々に囲まれた状況で、この遺構の全景をどのようにして表現するのか、というのは今後の難しい課題として残されそうです。

持ってきた水も徐々に底をつきつつある中、北方に蛇行するセン川の支流にようやくのこと到達しました。もはや12時をすぎています。暑さで朦朧とする中、ほとんど干上がった川底の岩盤に腰を下ろします。河床には柱穴らしきものが列んでいます。いつの時代のものでしょうか。

ここで昼食を取ることにしました。遺跡群へ来る途中で買った竹筒ご飯が昼食です。川底に残った水の中に泳ぐ魚と飯を分け合いながらの食事。

この段階でかなりへばっていた私たちは、まだ数キロはあるだろう王道の痕跡までの最終アタックをかけるかどうか悩みましたが、引き返すのは惜しい、ということで当初の目的地、王道跡まで踏査を続けることにしました。

最も暑い時間にさらに1時間半ほど歩いたところで、ふと航空写真を確認すると、どうやら既に王道を100mほどすぎた地点に立っているではありませんか。緩やかに盛り上がった道の存在を固く信じていた私たちにとっては、とても気づかずに通り過ぎてしまうようなものだとは思わなかったのですが。その後、思い脚を引きずりながら歩き回りましたが、結局王道の跡は確認することができず。

実はこの調査、地元の青年に道案内をしてもらっていたのですが、彼がこの近くに遺跡があるのを知っているということで、今度はその寺院探しが始まりました。しばらく歩いて、もうさすがに限界かと思われたところで、茂みの中に立派なラテライトの壁が見えてきたではないですか!

煉瓦造の主祠堂に経蔵を一基付け、東側に砂岩造りの門を構えるラテライトの周壁を巡らせた寺院がありました。王道そのものの痕跡は認められませんでしたが、この沿道に位置する遺構です。後から既存の遺跡分布地図で確認したところ、Pr. Ta Maenであることが確認されました。

この時すでに時間は午後3時。これから今日来た道を引き返すかと思うと、あまりに厳しい状況でしたが、尻をたたいて帰路につきました。再び1時間半ほど歩いたところで、村落に到着。そこには2台のバイクが!

今日一番の発見だったかもしれません。バイクに乗ってしまえば、ほんとに近いもので。あっという間に到着。

本当にお疲れ様でした。(一)

*本研究事業は日本国政府文部科学省科学研究費補助金による助成研究「クメール帝国地方拠点の都市遺跡と寺院遺構に関する研究」のもとに進められています。

コメント

  1. K より:

    調査の様子を細かくお伝えいただいて、ありがとうございます。臨場感があって、引き込まれます・・・ Pr. Ta Maenですか~。徒歩でそこまでとは、本当にすごいですね。「王道」の北側に位置する遺構として、「宿駅の寺院」の一つである可能性が考えられるのではないかと思います。(パルマンチエとシサークでは経蔵は2棟とされていました。)
    現地に行くのが楽しみです:)

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