バイヨン寺院 本尊仏の再安置プロジェクト その2

バイヨン修復現場から

時は今から70年ほど前,1933年のこと,バイヨン寺院の本殿となる中央塔の室内では,縦穴掘りが進められていた。遙か上方の塔頂部の崩落箇所から一筋の白い光が差し込む他は薄暗く,そして風もほとんど通らない陰湿な部屋の中でのこと。

 

まだ30代前半の若き修復保存官,ジョルジュ・トルーヴェが指揮をとる考古学調査隊は,バイヨンという建築の建立の目的を解明するための鍵が,寺院内で最重要の主室の地下に潜んでいることを確信し,大粒の汗をたらしながら黙々と作業に専念していた。彼らの熱く激しい野心と好奇心が,暗い室内に光明を灯しているようであった。

 

その時,彼らは確かに核心に迫っていた。

縦穴を掘り始めて数日,まだ背丈からやや掘り下がった程度の深さのこと,大きな石片の発見に掘る手が止まった。

連日のように遺跡群内から倉庫へと重要な彫像を移動していた彼らにとっても,この石彫は見慣れないほどに巨大で,その全体像を即座に把握することはできなかった。滑車で彫像を室内の床面まで引き上げ,主室脇の狭い側房内に運び込み,ようやくのこと枕木の上にこの彫像を据えた。未だ彫刻の全体は定かではなく,それだけでも十分に大きな彫刻であるにも関わらず,どうやらそれは全体の一部に過ぎないようで,破断面の他には,蛇の鱗を模した線刻が一面に施され緩いカーブを描いている面が確認された。石材の下面は土が堅く張り付きこの状況では確認することができない。欄干の端に屹立するナーガであろうというのがその場に居合わせたものの第一観であったが,それは間もなく覆される。

 

引き上げた彫像のさらに下方には,再び石片が頭をのぞかせているのが薄明かりのもとに照らされた。先の石材を引き上げるのにほぼ半日,さらにこの石材の引き上げ作業にいくら時間を要することか。先の石片に勝るとも劣らない大きさであることが周囲の土を除けていく中で明かとなりつつある。ようやく,石材の底面が見え,5tは吊り上げることができるスリングを石材に巻き付ける。滑車で石材を引き上げ,今度は先ほどとは別の側房に下ろした。この石材にも先のものと同様の鱗の線刻があるが,どうやら欄干のナーガでなないようである。石材は螺旋状に切り込みが入っている。そうである,鱗の石面がとぐろを巻いているのだ。

 

トルーヴェははたと気が付いた。サイズだけ見れば常軌を逸しているが,これは多頭の蛇に護られた仏,つまりムチリンダ竜王に庇護された仏陀の像ではないだろうか。そう思うと居ても立ってもいられなくなり,すぐさま側房の石片を中央テラスの明かりの下へ運び出す指示を出す。狭く段差のある室内の移動は,ままならないもので,日頃から倒壊著しい寺院の中で大きな石材を移動している彼らにとっても大仕事であった。一方のチームは遺跡の周囲から丸太を切り出し,中央塔の基壇からテラスの段差を下ろすための仮設的な斜路が造られる。ようやく石材が外に運び出されたときには夕刻の赤い日差しが西の空からほぼ水平に射している頃であった。

 

運び出したのは最初に縦穴から引き上げた石材。移動の間も鱗の線刻面を上にしてきたが,ようやくテラス上でこれを返すことができる。この時にはすでに大勢の胸の内にはナーガに護られた仏陀の像である想像が膨らんでいたが,しかし,一材でこれだけの大きさの仏陀像は目にしたことがない。彫像の天地を反転し,水を流して,そこに張り付いていた土を丁寧に取り除いてゆく。

 

皆の視線がある一点にそそがれる。その土の盛り上がりの下には,仏陀の顔があるべき所。夕暮れの光のもと,虫の声があたりをつんざき,それが邪念を打ち消して無音の世界に没入させる。一面がオレンジ色に輝く中で,水に濡れた石の面が露わになった。

 

そこには穏やかに瞑想する,優しく,しかし確固たる意志が込められた,仏陀の顔があった。



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