サンボー・プレイ・クック遺跡 ド・モン寺院 発掘調査1

サンボー・プレイ・クック遺跡群は7世紀の王都「イーシャナプラ」の都城址です。たくさんの煉瓦造寺院が残されていることで知られています。最近は,シェムリアップからの日帰り旅行やプノンペン-シェムリアップ間の移動時に立ち寄る観光客も増えてきています。

 

観光客が多く見学に訪れる寺院が建ち並ぶ地区の西側には,1辺2kmの正方形の環壕に囲まれた都城の跡地が残されています。これまで,この地区での調査はあまり進められていませんでしたが,ここ数年の間にサンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業(早稲田大学建築史研究室とカンボジア文化芸術省の共同事業)により,踏査が進められ,60近くの寺院跡が記録されるに到っています。その他,地上に落ちている遺物を収集する表採調査や,都城内の村落の調査が行われています。

 

このたび,2009年8月より,この都城内では初めての発掘調査が行われました。地元の人々によってド・モンと呼ばれている寺院跡地での発掘調査です。

この寺院は,都城の東側に位置しており,寺院が集中している地区と都城を連結する上で重要な地点にあります。寺院地区と都城の間にはオー・クル・ケーと呼ばれる川が流れていますが,この川の西岸に位置しており,寺院から川を渡って都城へと入城した際に表玄関となるべき寺院であった可能性があります。

 

都城内の寺院の多くは崩壊が著しく,寺院の建材であった煉瓦がマウンドとなって散乱しているだけの状態に倒壊しているのが一般的ですが,ここド・モン寺院では祠堂の一つが比較的良好な状態で保存されています。寺院の形式や装飾様式は,寺院区の主要な祠堂と類似しており,そのために七世紀の建物であることが推測されます。

 

寺院は東面し,東西に長い長方形の境内を寺域としていたようで,周囲から一段高くなった土地に位置しています。寺院は周壁に囲まれていたようで,今回の調査ではこの周壁を明らかにするための発掘調査が行われました。

周壁の東門と北東隅に推測される地点にトレンチが入れられ,発掘調査が進められました。いずれの発掘地点ともに予想されていた東門と周壁隅の遺構が出土しました。

 

しかしながら,発掘調査で予想通りにことが進むことはありません。

それが発掘調査の面白さ,醍醐味でもあるわけですが。。。

 

当初,考えていた構造とはずいぶんと異なる遺構が検出されました。東門は建造精度が著しく低く,寺院内の祠堂とはかけ離れた精度です。また,これまで一週間の調査が進められた限りでは,後世に増築されていた可能性も推測されます。

 

サンボー・プレイ・クック遺跡の寺院内でのこれまでの発掘調査では,アンコール時代に到ってからの増改築の痕跡は頻繁に確認されてきました。そのため,少なくとも宗教センターとしてはこの地区はアンコール時代に至ってからも重要な地方拠点であったことが推測されてきました。しかしながら,都城内では,王都であった七世紀に最盛期を誇り,その後はその重要性を失っていったものと考えることもできました。

 

今回の小規模な調査の結果からだけでは十分なことは判りませんが,想像を逞しくするならば,アンコール時代に至ってから後,都城内もまたその重要性を失わずに様々な活動が継続されていた様子を思い描くことができます。

 

この発掘調査の結果については,また後日,続報をお伝えしたいと思います。

 

なお,本調査は,プノンペン芸術大学の考古学部生,メコン大学の建築学部生への研修が同時に進められている他,早稲田大学オープン科目の実習授業の場として,日本からの学生も多数参加しています。

サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められています。(一)

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