カンボジアはこのところ毎日どんどんと暑くなっています。昼過ぎの太陽は凶器と化しています。
今日は第6塔の盗掘孔の記録から始まりました。断面図や平面図が作成されました。
その後,台座の四隅に穿たれている天蓋を支えていたと思われる柱穴にて発掘調査を行いました。バイヨン寺院の各塔に設置されている台座の四隅にはいずれもこうした柱穴が残されています。各隅に1つずつの穴がある場合,2つずつ、3つずつの場合,また楕円形の穴が斜めにある場合など,いくつかのパターンがありますが,ここ第6塔では,楕円形の穴が台座の四隅に穿たれています。
柱穴は堆積土が砂岩の端材などを伴い詰まっています。それらを上面より少しずつ削り取りながら発掘を進めます。基本的には堆積土だろうということで,それほど注意されることはありませんでしたが,南東隅の柱穴の底にさしかかったとき,何か鈍い感触がありました。色も,それまでの暗い茶色から白みがかった黄褐色です。少し取り上げてみると,ずっしりと重みがあって,ラテライトとも異なります。どうやら鉛のようです。丹念に底をクリーニングしてゆくと,不整形ではありますが,穴の底に張り付くようにして鉛が見られました。
過去に,サンボー・プレイ・クック遺跡群の北グループで塔室内の発掘調査をした際にも,やはり扉の軸ずりの穴の底から鉛が検出されたことがあります。その時は,現場で鉛を溶かして穴に流し込んだものと考えました。それによって扉の回転をスムーズにしたのではないかと推測したのです。いくつかの塔の扉の軸ずり穴から同様に鉛が確認されましたので,その推測は正しいのではないかと思われます。
ただ,バイヨン寺院他,アンコール遺跡群からは同様の痕跡はこれまで認められていません。過去にバイヨン北経蔵の解体修復工事を実施した際には,石材間を連結する「かすがい」のまわりから鉛が発見されたことがあります。かすがいそのものは純度の高い鉄が使われていました。クメール建築で発見されているかすがいは,大きさや形状がそれぞれで不規則です。同じモールドを使って規格的に造られたわけでありません。ですので,おそらく準備されたかすがいの一つを当時の工人は手にとって,現場でそのカタチにあわせて,石材を削り込んだものと思われます。ただ,当然,鑿で削り込んでも,精緻にかすがいと同じ形状の欠き込みは造れません。そこで,かすがいを穴にはめ込んだ後,石材との隙間に鉛を流し込んで固定したものと考えられます。
今日では,遺跡群内のかすがいの多くは盗掘されてしまっています。かすがいのありそうな石材に穴を彫って,抜き取られてしまったのです。また,近年の修復工事では,解体の際にかすがいを填めていた穴だけが残り,かすがいそのものは残されていないケースもよく見られます。それらは過去に解体された痕跡はないのですが。研究者によっては,石材を積み上げて,現場で削って形状を整えたりする際に,石材が動かないように一時的に固定し,作業が終わってから取り外したのではないかと考える人もいます。
さて,柱穴の発掘はさらに進みます。北西隅の柱穴は,ちょうどいい大きさの石材で塞がれていました。まずはこの石材を取り外します。石材の下面には壁体のモールディングの彫刻が施されていましたので,どこかに散乱していた端材を転用したものであることが明らかです。ただ,あまりにもしっかりと嵌め込まれていたので,人為的に設置された可能性も高そうです。
この石材の下には再びの堆積土。汚い黒い土が溜まっています。先の柱穴では鉛が見つかったこともあり,今回はさらに慎重に掘り下げていきます。
およそ20cm掘り下げたところで,土の中に何かかすかに反射する小さな光が目に入りました。取り上げてみると薄曇ったガラスのような破片。暗い室内から扉の外の光にかざしてみると,不規則に面がとられている結晶であることが分かりました。クリスタル。『水晶』です!
暗闇で重く沈んでいた気持ちが突然高ぶります。さらに柱穴を掘り下げてゆくと再び水晶の粒が。最終的には5粒の水晶が出土したのです。
いずれも汚い堆積土に混ざっていましたので,これが安置されたものであったのか,それとも盗掘で取りこぼされて,ここに残されたものであるかは定かではありません。ただ,柱穴を塞いでいた石が丁寧に収められていたことを考えると,後世に鎮めの儀式などがここで執り行われた際に納められたことを想像することもできるでしょう。(一)
*本調査は㈱竹中工務店からの研究助成を得て進められています。
コメント