雨で道が崩れた、という噂のクラウ村。
今日はその道の状況を実際に見に行ってきました。
クラウ村はアンコール・トムという古代都市の北側に東西に長く伸びている村です。(詳しくはJSTHPを!)この村の真ん中を貫くように走るのが、JSTのチア代表が長い時間とお金ををかけて1998年に完成させたもの。
今回崩壊の憂き目にあったのは、村のライフラインともいうべき、この道でした。
大きな被害があたったのは2か所。
1か所目は遺跡と村をつなぐ入口のところ。アンコール・トムの北門を出てすぐのところです。遺跡内で修復や清掃の仕事に就いている人が各家庭に必ず一人、と言って過言でないほどたくさんいるクラウ村にとって、通勤に欠かせない主要幹線道路(小さいけど)が、2mほどに渡ってえぐられていました。
断絶してしまった部分に木材を掛け渡し、臨時の橋としています。バイク・自転車は一応通行できますが、車はさすがに怖いくらい。
なんとか、ここを超えて、村の中心部を目指します。村の中心のあたりはやや高くなっているのかそれほど水の影響を感じさせません。クラウ村小学校を過ぎてしばらく行くと、カルバート工法で造られた橋、スピアン・オー・クティッヒに差し掛かります。
ここでびっくり。普段は「さらさら」という表現が似合うような小さな流れが、今日は濁流となってゴウゴウ音を立てています。強い流れに押されて、大きな竹の群集が根こそぎ倒れています。ちょっとした土砂崩れのような状態で、奥の家の柵も倒れ掛かってきています。
去年の8月に撮影した写真では、親子づれが和やかにカニや魚を獲っています。少年たちが水遊びをするような穏やかな流れが、こんな濁流になるなんて・・・。
改めて、今回は普通じゃないな、と思い知らされました。
もう一か所は、クラウ村の中心部から、コミュニティセンターのあるプラダッ地区へつながる部分。
近くまで車で行くのは難しいので、歩いて現場に向かうと、道のいたるところにまだ水たまりがあり、部分的に陥没している箇所もあります。
さて、どんなことになっているやら・・・。
両側を田圃に挟まれた水路のようになっている箇所が長さ8mほどにわたって、まさに「持って行かれた」というように削り取られています。ここはダメージが大きすぎて木の橋を作るわけにもいかず、わずかに残った50cmほどの陸地をバイクや自転車が往来しています。
この近くには、1mほどの土管を埋めた水門もあったのですが、ひとつだけでは水の勢いを受け止めきれなかったようです。流された土はすぐ脇の田圃になだれ込んで堆積していました。
この道の先には、この村でもかなり裕福な1件のお宅があります。写真の中に見えている土管は、そのお宅の方が出資して設置しようとしているもののようです。
状況を確認した帰り道、ちょうどJASAの作業終了時間と重なり、現場帰りの男性陣や清掃員の女性たちが続々と村に帰ってきます。その様子はまさに「帰宅ラッシュ」。
これは、道が壊れていたら困るよな~、と痛感。
帰宅途中のJASA作業員の棟梁・サオサムさんとチア代表とが、すれ違いざまに「あっち、修理始めるの?」「北門のほうもやらなきゃなぁ。」と声をかけ、補修に向けた簡単な確認をします。
サオサムさんの後ろからは、スコップを担いでバイクに乗っているJASA作業員の姿も。
どうやら村の人の力と、JSTの力を合わせるべき時が、またやってきたようです。
(ま)
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