安全祈願式で思う、歴史の継承とカンボジアのこれから

例年、新年最初の始業日には安全祈願式を行います(ちなみに、通常カンボジアの正月は西暦の4月ごろなのですが、本プロジェクトが国際的なプロジェクトである性質上、プロジェクト当初から西暦の1月をプロジェクトの年始と考え、その最初の始業日に安全祈願式を行っています)。今回は現在修復活動を行っているバイヨン外回廊東門前にて行いました。式では、土地の神様や精霊、ヒンドゥー、仏教あらゆる宗派の神様に対し、豚の頭、ニワトリ、お酒等の供物を前にお祈りをします。JASAの式典では通常、現場の棟梁であり、仏門に入られているサオ・サム氏が祈祷を行います。途中、サオ・サム氏がスタッフに向って聖水をまき(通常、こういった式典の際には、供物の近くに水が置かれているのですが、この水はお経を聞かせた結果、普通の水から聖水に代わるというふうに考えられているようです)、最後には成仏できていない方々に対して振舞うために、少し離れた場所に各種供物を混ぜたものを安置し、儀式は終了します。

式の最後には、新年最初のミーティングも行いました。

 

カンボジア人はこういった式典を重視しているようで、どんなに普段冷静沈着なスタッフでも、年始や修復工事、さらには発掘調査の始まるタイミングで日本人側が安全祈願式の準備を忘れていると、「昨日悪い夢を見たので、絶対に式典をやってほしい」と言ってきます。この感覚はもしかしたら、古代のクメール人と通じる何かがあるのかもしれません。

 

カンボジアは近年の内戦に限らず何度も断絶の時代があるので、アンコール時代前後に建造された寺院については正確な参拝・利用方法が継承できていません。また、それらの寺院の当初の計画を知ることができる図面・書物も残っていないので、修復や研究の際にはほぼ一から検討していく必要があります。他方で、日本においては幸いにもそういった部分では継続した継承の歴史が多く残存していますが、その一方で、カンボジア人が有しているセレモニーをしないと悪夢を見てしまうような、ある種、古代的な感覚の継承はいつからか日本人の中では断絶してしまっているのではないかと思います。もしかしたらそれがいわゆる近代化の影響かもしれませんが、その感覚の喪失は、過去から引き継がれてきたものをどこかで形骸化させ、文化・伝統の継承の本当の意味を少しずつ薄めてしまっている部分もあるのかもしれません。

 

これまでカンボジアにおいてはクメール正月や中国正月、水祭りといったものはカンボジア人を中心に楽しまれてきた行事でしたが、他方でクリスマス、ハロウィン、西暦における年越しのカウントダウンといった欧米由来のイベントに関してはカンボジア国外の人達によるイベントというイメージが強くありました。ただ、ここ数年でその様相は大きく変容し、シェムリアップの夜、最も外国人が集まるパブストリートに、欧米由来のイベントの時期になると、外国人だけではなくカンボジア人も多くあふれかえるようになり、ある種世界的なイベントが年々カンボジアの文化の中に取り込まれていっている様子がうかがえます。日本においても明治頃には同じような大きな変革があったのかと思いますが、現在、プノンペンはもちろんですが、シェムリアップにおいてもそういった流れが加速度的に進み、その影響が近い将来カンボジアの目に見える部分、さらには目に見えない部分にも表れてくるのではないかと思います。

 

日本にいた時にはそこまで感じていなかったですが、カンボジアにいますと、非常に根本的なことではあるのですが、歴史は継承されていくものであると同時に創られ、常に変容していくものであるということ、そして、その一端を端的に示しているのが、各地に残存している有名・無名を問わない重要な遺産・遺物の修復、文化的な儀礼・祭事・技術の継承の作業なのか、と最近改めて強く感じています。

 

これからカンボジアでは経済的、文化的、さらには精神的な面において大きな変化が表れてくると思います。我々、日本国政府アンコール遺跡救済チームとしても本年で第4フェーズを終了し、さらに第5フェーズを継続していく予定ですが、その中で現在カンボジアに残存しているもの、さらには修復・調査の過程で発見された新たな知見の中で、カンボジアで過去から引き継ぐべきものが何かを十分に考え、さらによい未来を創造するにはどうしたらいいのか、代表の中川、多くの関係者の皆様はもちろんですが、何より現地カンボジア人スタッフと一緒に今後も考えていきたいと思っています。


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石塚

 

 

 

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