JSTは
遺跡周辺に暮らす
村の人々と共に活動しています

代表チア・ノルの思い

すべての人々が集える“場”として、JSTが存在できたら、と思っています。

1975年に始まったカンボジアのポル・ポト共産政権下、私は父と2人の兄を失い、1980年、13歳のときに難民として日本に渡りました。その後、日本人神父に引き取られ、多くの日本の方々からの支援も受けながら大学卒業まで日本で過ごしました。そして1994年、日本国政府アンコール遺跡修復チームの通訳・渉外としての仕事に巡り合うことができ、14年ぶりに故郷カンボジアに戻ってきました。

遺跡修復チームでは、近隣の村から多くの農民が修復作業員として雇われており、共に仕事をしていました。ある日、彼ら作業員の村に案内されたとき、村には轍のような道以外、道と呼べるようなものはなく、川には橋もかかっていない様子にたいへん驚きました。道がないため、急病人を町の病院へ車で運ぶことができず、命を落とすことさえありました。そこで、なんとか村に道と橋をつくりたいと日本の知人に呼びかけ協力を仰ぎ、手作りのインフラ整備を始めたのが、私がアンコール遺跡周辺の村や子供たちの支援に関わるようになったきっかけです。その後、日本の皆様からのご支援をいただきながら、小学校校舎や橋の建設、文房具や本などの学校教育支援、給食事業、環境保護活動、フリースクール運営などを行ってきました。

2005年には、カンボジアでNGO登録を行い、「JST」が誕生しました。それから8年、援助に頼るのではなく、村人の自立の道を模索し続けてきました。目指すべきは、「カンボジア人自らが、カンボジアの将来を築き上げる」こと。地域で育つ子供たちと、村の青年層の育成に重点をおきながら、地域の特色を生かした小規模事業の可能性、修復専門家による遺跡修復現場案内、村のありのままの姿を観光資源として活用する試みなども実践し、そこで得られた収益を地域や修復現場に還元していく仕組みをつくってきました。その結果、修復作業員が安心して働けるようになっただけでなく、村の青年たちが中心となって、さらに小さな子供たちの面倒をみたり、さらに貧しい地域の小学校への教育支援や健康支援を行ったりすることができるようになりました。

とはいっても、この仕組みはまだまだ脆弱なもの。今後は、それを少しずつ強く多様なものにしていきたいと考えています。幸い、いくつかの日本のNGOや学校などと協力関係ができ、また、多くの個人旅行者が、まるで自分の第二の故郷のように、リピーターとしてカンボジアを何度も訪ねてくださるようにもなりました。

カンボジアの人々の笑顔に勇気づけられ、のんびりと過ぎてゆくカンボジアでの時間や歴史・風土に魅せられた方はもちろん、カンボジアという国のことを今まで気にとめたことがなかった方も、ぜひ、JSTの扉を叩いてみてください。遺跡と、遺跡で働く人々と、地域で育つ子供たちと、外国からの訪問者と・・・。すべての人々が集える“場”として、JSTが存在できたら、と思っています。